昨日は、6月最後のキリ短での紀々クラス。残すところ、あと4回となった。梅雨が明け、空は晴れるようになったけれど、学生の皆さんは、どうも気持ちが曇りがちな不安定さがあるようで、体調を崩す人も多いのが、気になる。
話を聞いてみると「就職・進路における悩み・焦り」が、原因のひとつにあるようだ。
私の場合は、中学生の頃から、学校生活と並行して音楽活動でイベントなどの仕事を受けていたので、社会に対しては“全くの未知の世界”ではなかった。それでもやはり、大学卒業の前の決断には、悩んで元気をなくしていたことを思い出す。
私の場合は「好きなことを、仕事にするべきか?それとも、趣味にするべきか?」ということで、悩んでいた。アナウンサーという職業も考え、セミナーも受講したが、肌が合わずに、断念。
「好きなことで仕事になるほど、世の中甘くない」「せっかく早稲田まで行って、関係ない道に進むなんて…」「どうせ音楽の道に行くんだったら、大学なんて行かずに、早くデビューした方が有利だったのでは?」etc.
これまで演奏活動を応援してきてくれていた方も、いざ本職となると、意見は別のものだった。「私って、親不幸?」と思ったりもした。
幸い、私の“親”は、「親のつもり」でアドバイスしてくれたどの人よりも「子供に対し、理解と信頼と度胸のある人」であった。「20年も、あなたの親をやってるのよ!」と笑われた。こうして私は「好きなこと」を仕事にすることに、決めた。
バブル崩壊後は、イベントも激減。アマチュア時代よりも厳しい状況になり、美しく語れるようなバラ色の日々ではなく、仕事を始めてからも“悩み”は、ついて回っていた。そんな試行錯誤の時代があって、今の私がある。だから、この時の決断に、悔いはない。
よく「これで、仕事になるか?」と聞く人がいるが、私が仕事を選ぶ時の基準として、考えていることがある。
“「どうせ仕事じゃなくても、やるだろう」ということは、やろう。”
これが、一番お金も時間も節約できて、やりたいことがやれる方法だと思っている。ビジネス・プライベートを分けることなく“私自身”が、充実できる形。私向きの選択方法だ。
「仕事って、何?」という質問に対し、今、私はこう考える。
「自分次第で、つまらなくもなるし、面白くもなる。お金以外の何を得られるかが、大きく試される場」。
“ 仕事って 面白くって 厳しくて 悔しくたって 好きだったりして ” 紀々
仕事って、面白い。私の人生も、面白い。
最近ようやく、そう思えるようになってきた。
-----
学生の皆さん!
悩むのも、迷うのも、学生の“仕事”です。
あなただけじゃ、ありません。
だから、迷わず“思い切り迷って”下さい。
話を聞いてみると「就職・進路における悩み・焦り」が、原因のひとつにあるようだ。
私の場合は、中学生の頃から、学校生活と並行して音楽活動でイベントなどの仕事を受けていたので、社会に対しては“全くの未知の世界”ではなかった。それでもやはり、大学卒業の前の決断には、悩んで元気をなくしていたことを思い出す。
私の場合は「好きなことを、仕事にするべきか?それとも、趣味にするべきか?」ということで、悩んでいた。アナウンサーという職業も考え、セミナーも受講したが、肌が合わずに、断念。
「好きなことで仕事になるほど、世の中甘くない」「せっかく早稲田まで行って、関係ない道に進むなんて…」「どうせ音楽の道に行くんだったら、大学なんて行かずに、早くデビューした方が有利だったのでは?」etc.
これまで演奏活動を応援してきてくれていた方も、いざ本職となると、意見は別のものだった。「私って、親不幸?」と思ったりもした。
幸い、私の“親”は、「親のつもり」でアドバイスしてくれたどの人よりも「子供に対し、理解と信頼と度胸のある人」であった。「20年も、あなたの親をやってるのよ!」と笑われた。こうして私は「好きなこと」を仕事にすることに、決めた。
バブル崩壊後は、イベントも激減。アマチュア時代よりも厳しい状況になり、美しく語れるようなバラ色の日々ではなく、仕事を始めてからも“悩み”は、ついて回っていた。そんな試行錯誤の時代があって、今の私がある。だから、この時の決断に、悔いはない。
よく「これで、仕事になるか?」と聞く人がいるが、私が仕事を選ぶ時の基準として、考えていることがある。
“「どうせ仕事じゃなくても、やるだろう」ということは、やろう。”
これが、一番お金も時間も節約できて、やりたいことがやれる方法だと思っている。ビジネス・プライベートを分けることなく“私自身”が、充実できる形。私向きの選択方法だ。
「仕事って、何?」という質問に対し、今、私はこう考える。
「自分次第で、つまらなくもなるし、面白くもなる。お金以外の何を得られるかが、大きく試される場」。
“ 仕事って 面白くって 厳しくて 悔しくたって 好きだったりして ” 紀々
仕事って、面白い。私の人生も、面白い。
最近ようやく、そう思えるようになってきた。
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学生の皆さん!
悩むのも、迷うのも、学生の“仕事”です。
あなただけじゃ、ありません。
だから、迷わず“思い切り迷って”下さい。
ストレスを抱える人が増えている、という。ストレスを受ける人と与えている人がいるわけだけれど、実は、ストレスを与えてしまう人の原因は「その人に、ゆとりがないから」ということが多く、その理由は「ストレス」であるのではないか…私は、そう感じている。つまり、つながっているのだ。
このストレスの悪循環を、どこかで“逆転”する必要がある。「断ち切ってしまう」という方法もあるが、そうすると“ゼロ”になってしまうので、プラスにするためには“逆転し、良循環を起こす”ことを目指したいと思う。
つまり、ストレスを抱える人が、誰かにストレスを与えてしまう、というめぐりから、「ゆとりをもった人が、誰かにゆとりを与える」というめぐりへの逆転。
「聞き耳」も、同じだ。コーチに聞いてもらった人は、心にゆとりが生まれる。そこから自然に「誰かの話を聞けるようになる」のだ。そして、その人に聞いてもらった人はまた、誰かの話を聞けるゆとりを得ることになる…この逆転劇は、クライアントの方々の転機!の中で、たくさん起こってきた。
周りの人・状況・環境・条件が変わらなくても、自分の発想・工夫ひとつで“逆回転”が始まることを、私は実感している。だからこそ、半ば仕方ないと思われている「ストレス」についても、その“快笑!”に挑戦したいという気持ちが出てきたのだ。
目指せ、逆転劇!
P.S.
7月30日の●紀々茶会●、テーマは「ストレス“快笑!”のカギさがし」。詳細は、こちらより。
このストレスの悪循環を、どこかで“逆転”する必要がある。「断ち切ってしまう」という方法もあるが、そうすると“ゼロ”になってしまうので、プラスにするためには“逆転し、良循環を起こす”ことを目指したいと思う。
つまり、ストレスを抱える人が、誰かにストレスを与えてしまう、というめぐりから、「ゆとりをもった人が、誰かにゆとりを与える」というめぐりへの逆転。
「聞き耳」も、同じだ。コーチに聞いてもらった人は、心にゆとりが生まれる。そこから自然に「誰かの話を聞けるようになる」のだ。そして、その人に聞いてもらった人はまた、誰かの話を聞けるゆとりを得ることになる…この逆転劇は、クライアントの方々の転機!の中で、たくさん起こってきた。
周りの人・状況・環境・条件が変わらなくても、自分の発想・工夫ひとつで“逆回転”が始まることを、私は実感している。だからこそ、半ば仕方ないと思われている「ストレス」についても、その“快笑!”に挑戦したいという気持ちが出てきたのだ。
目指せ、逆転劇!
P.S.
7月30日の●紀々茶会●、テーマは「ストレス“快笑!”のカギさがし」。詳細は、こちらより。
トークが、楽しい。文章が、楽しい。演奏が、楽しい。
これまで「楽しい」という嬉しいコメントを頂くことは、たくさんあった。けれども、今回初めての「楽しい」を頂いた。
「紀々さんの字が、楽しい」。
先日の経営者向けの講演でのこと。質問の時間に移った時…「ちょっと、いいですか」参加者のお一人が、ホワイトボードの前で、書きながら解説して下さった。「紀々さんの字は、笑っているように見える」というのだ。「フツーは、こうですよね。でも、紀々さんは…」という発見に、当の本人である私が、ビックリだった。文字が特徴的であると言われたことは何度もあったけれど、「楽しい」というのは、初めて。まさに「楽しい発見」だった。
コンピューターが発達してくると、直筆というのに出会う機会が少なくなった。今回のコメントで、1つ心に決めたことがある。
「パワーポイントもいいけど、私の場合、やっぱりホワイトボードにしよう」。
こうして、“文字”という表現方法が、また新たな紀々道具として加わった。
これまで「楽しい」という嬉しいコメントを頂くことは、たくさんあった。けれども、今回初めての「楽しい」を頂いた。
「紀々さんの字が、楽しい」。
先日の経営者向けの講演でのこと。質問の時間に移った時…「ちょっと、いいですか」参加者のお一人が、ホワイトボードの前で、書きながら解説して下さった。「紀々さんの字は、笑っているように見える」というのだ。「フツーは、こうですよね。でも、紀々さんは…」という発見に、当の本人である私が、ビックリだった。文字が特徴的であると言われたことは何度もあったけれど、「楽しい」というのは、初めて。まさに「楽しい発見」だった。
コンピューターが発達してくると、直筆というのに出会う機会が少なくなった。今回のコメントで、1つ心に決めたことがある。
「パワーポイントもいいけど、私の場合、やっぱりホワイトボードにしよう」。
こうして、“文字”という表現方法が、また新たな紀々道具として加わった。
「日常会話の中で、コーチングをやると不自然なんですよね…」セミナーに参加された方々から、時々聞こえてくるつぶやき。「コーチングって、わざとらしいからイヤ」という声も、聞いたことがある。
“不自然さ・わざとらしさ”となってしまうのは、コーチングそのもののせいではなく、「とってつけたようなコーチングになってしまっている」ところに、原因があると思う。コーチングを不自然に意識しすぎて、セミナー会場ではない場所で、相手の気分・希望に関わらず、突然セミナーでの風景を再現してしまっているケースが多い。コーチング初心者の方が、思わずやってしまいがちなミスの一つ。
セミナーで習ったような「コーチングの会話」は、コーチングをよく知らない人が多い日常の生活では、そうそうないもの。理想と現実は、ちょっと違うのだ。教習所と一般道の違いと同じ。教官が隣にいるわけではないし、優先道路が分かりやすい交差点ばかりではない。バイクも左右好き勝手に走って来るし、駐車禁止の看板前に路上駐車があったりもする。「聞いてないよ〜」と思うような出来事が、たくさんあるのが“自然”なのだ。
会話も、同じ。セミナー会場では絶対に起こらなかった出来事が、“自然に”飛び出してくるのが、日常会話。
他愛もない会話の中で、突然「あなたの本音は、何ですか?」「ゴールは、明らかですか?」などとコーチング的問いかけをやってしまうと、食事の手も笑い声も、ピタリと止んでしまうはず。
こんな「まさにコーチング」というような質問をしなくても、実は、雑談の中でコーチング効果を実現することは、可能だ。“自然な状態の中で、肩の力を抜いて、真面目に考えるけれど・楽しい”コーチング要素の詰まった空間・時間をお届けするのが●紀々茶会●の目指すもの。「これなら、何時間でも話していたい!」と思えるような、居心地のよさと軽さ・明るさを心がけている。
コーチングは、決して特別・複雑なものではない。まずは、それを“体験”して頂くことが、第一歩だと感じている。
そこで…7月は【茶会月間】!
P.S.
茶会の日時などについては、こちらをご覧下さい。
“不自然さ・わざとらしさ”となってしまうのは、コーチングそのもののせいではなく、「とってつけたようなコーチングになってしまっている」ところに、原因があると思う。コーチングを不自然に意識しすぎて、セミナー会場ではない場所で、相手の気分・希望に関わらず、突然セミナーでの風景を再現してしまっているケースが多い。コーチング初心者の方が、思わずやってしまいがちなミスの一つ。
セミナーで習ったような「コーチングの会話」は、コーチングをよく知らない人が多い日常の生活では、そうそうないもの。理想と現実は、ちょっと違うのだ。教習所と一般道の違いと同じ。教官が隣にいるわけではないし、優先道路が分かりやすい交差点ばかりではない。バイクも左右好き勝手に走って来るし、駐車禁止の看板前に路上駐車があったりもする。「聞いてないよ〜」と思うような出来事が、たくさんあるのが“自然”なのだ。
会話も、同じ。セミナー会場では絶対に起こらなかった出来事が、“自然に”飛び出してくるのが、日常会話。
他愛もない会話の中で、突然「あなたの本音は、何ですか?」「ゴールは、明らかですか?」などとコーチング的問いかけをやってしまうと、食事の手も笑い声も、ピタリと止んでしまうはず。
こんな「まさにコーチング」というような質問をしなくても、実は、雑談の中でコーチング効果を実現することは、可能だ。“自然な状態の中で、肩の力を抜いて、真面目に考えるけれど・楽しい”コーチング要素の詰まった空間・時間をお届けするのが●紀々茶会●の目指すもの。「これなら、何時間でも話していたい!」と思えるような、居心地のよさと軽さ・明るさを心がけている。
コーチングは、決して特別・複雑なものではない。まずは、それを“体験”して頂くことが、第一歩だと感じている。
そこで…7月は【茶会月間】!
P.S.
茶会の日時などについては、こちらをご覧下さい。
昨日は、キリ短での紀々クラスの後、講演へ向かった。今回の参加者は、沖縄県の中小企業の経営者の方々。紀々コーチングの入り口としての講演テーマ【聞く力のもつチカラ】は、そろそろ“定番”となってきた。
実は、この会での講演は、2度目。最初の出会いは、まだコーチになって駆け出しの頃だった。体験に乏しかったので、その時の内容は「習った通りに、しっかりと」という感じだったと思う。今では、私が講演で心がけているのは「本には書かれていないけれど、現場で活動しているコーチだからこそ話せる本当のこと」をお伝えすること。「本に書かれていることは、本を読んで頂けば分かるので、本屋さんへ行ってみて下さい」と付け加えて。
最初の講演の頃:2002年の時点では、コーチング関連の本はほとんど見つけられない程度しかなかった。でも今は、質はバラバラであっても「コーチング」という内容が含まれている本は、沖縄でもかなり並んでいる。だから「せっかくなので、“私にしか言えないこと・私ならではの視点と発想”をお伝えすることが、一番のサービス」と考えるようになってきた。様々な体験を積ませて頂いてきた中で育ってきた“自信”の存在を、実感する。
やっぱり、自信というのは“挑戦の結晶”だ。ポンと、突然生まれるものではない。コーチとしての3年間と、そしてプロ意識をもって舞台に立ってきた16年間という積み重ねは、今の私にとって大きな「根っこ」となっている。音楽活動とコーチングと哲学…別々のように見えていた要素が、そろそろひとつの結晶としてつながろうとしていることを感じる。
さて、どんな形になって現れるのだろうか?梅雨明けと共に「待ち遠しいもの」のひとつ。
実は、この会での講演は、2度目。最初の出会いは、まだコーチになって駆け出しの頃だった。体験に乏しかったので、その時の内容は「習った通りに、しっかりと」という感じだったと思う。今では、私が講演で心がけているのは「本には書かれていないけれど、現場で活動しているコーチだからこそ話せる本当のこと」をお伝えすること。「本に書かれていることは、本を読んで頂けば分かるので、本屋さんへ行ってみて下さい」と付け加えて。
最初の講演の頃:2002年の時点では、コーチング関連の本はほとんど見つけられない程度しかなかった。でも今は、質はバラバラであっても「コーチング」という内容が含まれている本は、沖縄でもかなり並んでいる。だから「せっかくなので、“私にしか言えないこと・私ならではの視点と発想”をお伝えすることが、一番のサービス」と考えるようになってきた。様々な体験を積ませて頂いてきた中で育ってきた“自信”の存在を、実感する。
やっぱり、自信というのは“挑戦の結晶”だ。ポンと、突然生まれるものではない。コーチとしての3年間と、そしてプロ意識をもって舞台に立ってきた16年間という積み重ねは、今の私にとって大きな「根っこ」となっている。音楽活動とコーチングと哲学…別々のように見えていた要素が、そろそろひとつの結晶としてつながろうとしていることを感じる。
さて、どんな形になって現れるのだろうか?梅雨明けと共に「待ち遠しいもの」のひとつ。