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 ☆ 12月21日の選択の哲楽より ☆

 「一瞬」を楽しくする。そうしたら、そのあとの時間も…楽しくなってくる!

 講演会でも「うた」にしてお届けするようになってから、気付いたこと。7時間の研修で言葉だけで伝える時よりも、2〜3分のうたの方が、ずっと心に届き覚えていてもらえていることに驚き、過去の自分が今の自分にちょっと嫉妬していることを感じます(笑)。

 「一瞬」の楽しさのもつパワーを体感したのは、ちょうど「ラララ♪りうぼう」のテスト版が仕上がり関係者の方々に聴いて頂いた頃でした。

 毎日新聞『特集 リアル30’s』が書籍化され、その出版記念トークライブでご一緒させて頂いた写真家の青山裕企さんが、久茂地にいらしていた時のこと。ちょうどリウボウストアの店長研修が終わる時間だったので、店長のジャンプ写真を撮って頂くことになりました。

 その光景を、私は青山さんの後ろ側から興味津々で眺めていました。「跳ぶ」という、本当に一瞬の出来事。それなのに、大人の男性リーダーたちが本当にイキイキと団結していくのがわかりました。

 チーム力アップや笑顔度アップの研修に2〜3時間必要というのは、誰が決めたんだろう?

 そんなことも考えてしまいました。1日中活気がないのは、もしかしたら「一瞬のイキイキ感」が足りないだけ…そんなことも、あるかもしれません。

 「一瞬」に目を向けてみる…転機のきっかけは、そんなところにあるような気がします。

 ☆写真は、去年の3月…パレット久茂地前。
 

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 ☆ 12月20日の選択の哲楽より ☆

 先月の東京で行われた哲楽ライブは、私にとって一つの転機となりました。

 そもそも高校生からの哲学雑誌『哲楽』とのご縁は、思いがけないものでした。私が「哲楽家」という肩書に一本化することに決めた時、Twitterで、同じ名前をもつ雑誌があることを知りました。そこからメッセージを送ったのがきっかけ。その後、雑誌のインタビューをお受けすることになり、編集人の田中さんとは同世代ということで意気投合したのでした。

 「どうして知り合ったんですか?」

 周囲から見ると、私には意外に思われる方とのつながりも多いようで、このところ聞かれることが増えました。

 それは本当に「小さなきっかけ」。それを、きっかけで終わらせるか・つなげていくのかのちがいが、後に大きな差になるような気がします。多分、これも選択。そう考えてきたわけではないのですが…。名刺交換の数よりも大切なことがある、そんな気がしています。

 いろんなことは、みんな「小さなはじまり」から。

 最近、あらためて思うこと。

 あの日の哲楽ライブは「夢のようだ」と多くの方が表現されていました。私も、そう思いました。思いもよらない方々との共演…不思議な感覚で、幸せでした。

 「気が合うとかそういうことではなくて、哲学が同じであることが大事」。以前、私にご依頼下さったT先生の言葉を思い出していました。

 色々ちがうけれど、とっても共通している一つがある。

 これが大事なような気がします。そんな「根っこ」のようなものに、私は関心があってここまできたんだなぁと。

 ☆ 写真は、哲楽ライブ終了後の一枚。本当に、夢のような時間でした。

 

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 ☆ 12月18日の選択の哲楽より ☆

 「紀々さんのCDを、職場のラジオ体操の時に流してみました!」とのうれしいメールを頂きました。FBページでご紹介してもいいですか? とお尋ねしたところ、なんと…文面案まで書いて下さったので、貴重な文面、そのままご紹介させて頂きます(^^)/

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 最近うれしいお便りをいただきました。以前訪問したことのある企業の方からです。

 毎月1回朝一番に、全社員でラジオ体操をされているそうです。安全運動推進の日とかで。ラジオ体操が始まるまでの間、数十人ですので、皆そぞろに集まって来るようですが、その間3分ほど、「大風の芽」の渡久地さんのお店で手に入れた、私のCDをかけてくれたそうです。
「世界一たよりない応援歌」だったと聞いています。

 「朝のハツラツタイムにしては、ちょっと暗いかなぁ?」って心配もあったそうですが、それとは逆に、「元気をもらった、というか、背中をポンって押されたような感じで、たいへん良かった!」って言ってもらえました。効き目あったのかな?

 皆さんも体験されてはいかがですか? 紀々からの「ポンっ!」

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 こういう後日談、とても励みになります!

 いつもの体操に、いつもとちがうひと工夫…この選択も、小さな風穴になり得るのかもしれないと感じました。まずはそんな「発想」が、きっと大切ですね。

 今日は、新春講演会の打ち合わせでした。10年以上のお久しぶりのリーダーの方との再会。「いつかお願いしたいと思っていて」というお気持ちが、とてもありがたかったです。

 「難しい話より、新年は特に明るく元気の出る話をと思って」とのリクエスト。たくさん、うたもお届けしたいと思います。気分はすっかり…新年の紀々でした(笑)。

 ☆ 写真は、先月の経営者の方々向け講演会にて。わざわざ紀々の顔を見に来て下さったUさんに頂いた一枚です☆私、何を言っているところなのかなぁ…?(笑)

 

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 ☆ 本日のソニー坊やNEWS! ☆

 今日は、今年最後の収録でエフエム沖縄へ。守衛さんから「紀々さん、ソニー坊やの記事見たよ〜!」と迎えて頂き、新情報も教えてもらいました!情報というものは、こうして伝わり広がっていくものなのだと感激です。

 週刊レキオにソニー坊やの特集が掲載された時の編集長を務めていらした鈴木孝史さんに、その後についてご報告したところ、うれしいメールを頂きました。公開にあたりOK頂いたので、ご紹介させて頂きます。

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 読んでいるうちに、レキオの編集に携わっていた頃のお便りを思い出しました。

 読者から寄せられたソニー坊や関連のお便りは、ソニー坊やに対して、ともだち、身内のひとり…という感じで思い出話をつづっていました。

 たとえば、「東京(大阪?)へ働きに出ていた自分が、帰郷し、バス停から自宅へ向かっていたら、懐かしいソニー坊やの笑顔がまず出迎えてくれた」とか、「我が家のおチビさんは、幼稚園(保育園?小学校?)への通学の途中、きまってソニー坊やに手をふります」とか。

 いま流行の「ゆるキャラ」とは異なる魅力があるように思います。「まじキャラ」かな?

 ソニー坊やの笑みが、いまだに親しみの波紋を広げていることを、とてもうれしく思います。

 鈴木孝史

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 ご依頼頂いている、ソニー坊やにまつわる取り組みについての新聞コラムも、そろそろ書き始めます。今年の振り返りシーズンに、まさかソニー坊やのことを新聞に書くことになるなんて…夢にも思いませんでした(笑)。

 先日お会いしたTさんは、私がソニー坊やについて話している途中で急に笑い出してしまいました。何かおかしなことを言ったかなと思ったら…「僕は、ソニー坊やが『あった』って言ったんだけど、紀々さんは『いた』って言ったよね。あ〜、モノじゃないんだなぁと思って。」とのこと。まったくの無意識でした。

 あれから、ソニー坊やについてミニコミ紙に書いて下さった西原町兼久の沖縄タイムス販売店の田邉さんの記事を読んでみると「一人」という記載になっていました。田邉さんも同じ気持ちでいて下さったんだ!とうれしくなりました。

 ソニー坊やが教えてくれることは、本当にいっぱいあります。さて…コラムの字数にどうやって収めようかな(笑)。

 ☆ 写真は、先日の西原町兼久のソニー坊やのイルミネーション点灯式にて。かわいい光景に、思わずカメラを構えたのですが…慌てて、ソニー坊やが入りきれていませんでしたm(_ _)m

 

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 ☆ 12月16日の選択の哲楽より ☆

 16日の琉球新報に、8日の「ソニー坊やを探そう&語ろう!会」の模様が掲載されました。年内に、ソニー坊やについてのコラム執筆のご依頼があり、年明けにはもう一つ新聞の取材が入りました。

 このように新聞・テレビが取り上げて下さることに、私のチカラだと思われている方も多いのですが…それは、ちがいます。私ももちろんお知らせはしましたが、他の方々もそれぞれ「では、私も!」と声をかけて下さったお蔭です。

 今回2回にわたり取材して下さった琉球新報の記者さんは、約50年前の新聞記事も見つけてきて下さり…これまで10体と言われ続けていたソニー坊やが「30体設置されていた!」という衝撃の事実が明らかになりました。こうして、プロの方々が「できること・わかること」を持ち寄って、いまの急展開があるのです。

 「きっとね、楽しそうなところには参加したくなるのよ!」

 この様子を見ていた、ある社長の言葉が印象的でした。

 先日、西原町兼久のソニー坊やをご自身の会社の敷地内に迎えて下さった宮平プロパンの宮平社長に、やっとお会いすることが出来ました。製糖工場からサンエーになる時、ソニー坊やの移設が必要になったそうです。なんとその時、ソニー坊やは倒れていてしかも首も折れてしまっていたとか。

 どうするかを話し合った時に、当時のさわふじ中央通り会の会長でもあった宮平社長が申し出て下さり、通り会の予算で移設することになり、依頼を受けた赤嶺さんが協力して修復・移設が実現したそうです。「なぜ、西原町兼久のソニー坊やだけが首が長いのか?」というナゾについては、この時に折れた首を修復する際に首をつくったということがわかりました。

 「そうですか、あなたのおじいさんだったのですね」…宮平さんは、ソニー坊やのことはあまり知らないまま受け入れて下さっていたのでした。「おじいさんは、素晴らしいね。私たちも大切にしますからね!」との言葉に、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 あの日、通り会のみなさんが取材が入ることをとても喜んで下さいました。いま私ができることは、せめてみなさんの取り組みを知って頂く橋渡し…そう思っています。

 一人の力を高めるより、みんなの力を合わせることの方が、ずっと大きな力になる!

 思いがけない展開に、そう実感しています。きっと、職場でも…同じですね!

 ☆ 写真は、宮平プロパンの宮平社長ご夫妻とお孫さん。

 
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